横山昭雄2015を丁寧に読んでから建部正義2014を読んで見て下さい

 建部氏の論文が公表された時点では、まだ、横山氏の著作は刊行されていないので、論文中の記述をそのまま信じ込んだとしてもやむを得なかった、といえよう。何しろ、日銀の実務などというものは、当事者が説明してくれないことには、経済学者はもとより、会計学者でさえ、推測を交えて理解せざるを得ないもの「だった」のだ。

 しかし、来月で、横山氏の著作が発表されてから丸5年である。

 「横山氏の見方は誤っている」という意見があっても良いし、「いや、建部氏の見方がおかしい」という意見があっても良い。しかし、この双方を無邪気に称賛している人をネット上で見かけて腰を抜かしそうになった〈笑〉。どうやら、いわゆる「主流派経済学」なるものに文句をつけてくれる人ならば、論理的整合性などは関係なく、その人にとっては《神》であるようなのだ。

 そういうのは、あまり建設的な態度ではない。

 というわけで、対象を絞って、以下の記述だけを読み比べて頂きたい。その際、どのタイミングで、どの主体によって信用創造が行われるか(預金通貨が増やされるか、あるいはMS が増加するか)に留意して欲しい。

 

 「まず、この国債を個人・企業等非金融機関が引受ける場合は、最初に個人・企業から政府への資金移動が起こり、先の分析視点で見れば、財政の揚げ(=MS減)となる。しかし、やがてこれによって調達された資金が、国家目的に従って、公共事業費や社会保障・福祉などの名目で、支払われていく(財政散布、すなわちMS増)。したがってやや長目に見ればMS総量は不変。

 これに対し、この国債市中銀行が引受けた場合には、銀行の対政府信用創造が行われるわけで、その時点で財政揚げ(=MS減)とはならない。そして政府はこれによって調達したオカネを、目的に応じて民間向けに支出し、これが個人・企業の預金となって銀行に入ってくる(財政払い超)。この結果、通算すると、MS総量は市中銀行国債引受け分だけ増えることになる。これが個人・企業等非銀行による国債引受けのケースとの決定的な違い。」(2015・横山昭雄・『真説 経済・金融の仕組み ー 最近の政策論議、ここがオカシイ』・日本評論社)

 この記述は、どう見ても「国債を購入した銀行が、購入時点で、政府に対して信用創造を行うことによって預金通貨が増やされる 」と理解するのが自然である。それに対して、、、

「つまり、こういう次第である。すなわち、①銀行が国債(新発債)を購入すると、銀行保有の日銀当座預金は、政府が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる、②政府は、たとえば公共事業の発注にあたり、請負企業に政府小切手によってその代金を支払う、③企業は、政府小切手を自己の取引銀行に持ち込み、代金の取立を依頼する、④取立を依頼された銀行は、それに相当する金額を企業の口座に記帳する(ここで新たな民間預金が生まれる)と同時に、代金の取立を日本銀行に依頼する、⑤この結果、政府保有の日銀当座預金(これは国債の銀行への売却によって入手されたものである)が、銀行が開設する日銀当座預金勘定へ振り替えられる、⑥銀行はもどってきた日銀当座預金でふたたび新規発行国債を購入することができる、⑦したがって、銀行の国債消化ないし購入能力は、日本銀行による銀行にたいする当座預金の供給の仕振りによって規定されているのだ、と。」(2014・建部正義「国債問題と内生的貨幣供給理論」・『商学論叢』第55巻第3号)

 この記述では、国債を購入した銀行ではなくて(!)、別の銀行(公共事業を受注した企業が口座を開設している銀行)が預金通貨を増やす、という解釈になってしまう。まあ、両者が一致することもあるだろうが、、、

 何故このような不自然な理解に陥るのか?

 それは、「bM(ここでは日銀当座預金)の移動は、同時に、異なる経済主体の間でのMS(銀行預金)の移動でもある」、という基本的な知識が理解されていない(あるいは忘却されている)ためだろう。

 比喩的に表現すれば、bMはMSを乗せて移動させるための乗り物である。目的もなしに動いたりはしないのだから、乗り物が動いたからには、誰かを乗せて運んだのだ、、、と推論すべきなのだ。

 「政府専用機がワシントンに飛んだ」という見出しを見たら、政府の要人が東京からワシントンに移動したという記事内容を予想するのが自然だろうが、建部論文の①では、機長がワシントンまで飛んでみたかったから誰も乗せずに飛行機を飛ばしてしまった、という、かなり滑稽な絵が目に浮かぶ。その後、「内生的貨幣供給理論に従えば、通貨を創造するのは銀行部門でなければならない」というドグマを無理やり当てはめようとして、政府小切手を持ち込まれた銀行が信用創造を行うというストーリーをこしらえたのだろう。

 残念なことに、公共事業代金の支払いは、受注企業の銀行口座への振り込みによって行われるので、このストーリーは成り立たない。政府小切手が送付されるなどというのは、かつては主流だったのだろうが、現在では例外的だ。口座残高が不足していれば、振り込みの手続きそのものが成立せず、必ず不足分の入金を要求される。というより、そもそも、振り込み額以上の現金を口座に入金するところから振り込みの手続きが始まる。このへんは、社会人にはお馴染みだろう。

 やはり、①の段階で既に信用創造によってMSが増やされており、それを移動させるために日銀当座預金が銀行から政府へ移っていると見るべきだと思う。