「注」の記述だけでも視点の確かさは分かる    伊藤修著『バブル後の金融危機対応: 全軌跡 1990~2005』

 地味な記述が続くので、この方面に関心の薄い人は途中で投げ出したくなるかもしれない。また、興味はあっても予備知識に乏しいと(⇦これは私のことである)、スムーズに読み進めるのは困難である。ただ、終章の「危機収束後の長期沈滞の展望:2005~2021」だけは丁寧に読んでほしい。

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『バブル後の金融危機対応:全軌跡1990~2005』(2022,伊藤修,有斐閣)

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB%E5%BE%8C%E3%81%AE%E9%87%91%E8%9E%8D%E5%8D%B1%E6%A9%9F%E5%AF%BE%E5%BF%9C-%E5%85%A8%E8%BB%8C%E8%B7%A1-1990-2005-%E4%BC%8A%E8%97%A4-%E4%BF%AE/dp/4641166005

 

 ちなみに、終章の「注」のうち、リフレ派について言及した8)とMMTについて言及した9)は、以下の如し。

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8) 日本の停滞の根源はデフレであり、その原因はもっぱらマネー供給の過小という日本銀行の誤りであって、マネー供給を画期的増額に転換すれば容易にデフレ脱却できると当初主張された。現実には、日銀から市中銀行へ巨大なマネタリー・ベースが手渡された(第1段階)が、市中銀行から企業・家計へ供給される第2段階が目詰まりしていて、マネー供給は増えなかった。市中銀行はリスクテイク余力の制約内で利潤を最大にするように貸出量を決めるのであり、それが増加するような条件(財取引、実体経済の活発化)が必要であるというメカニズムの理解が、このグループには欠けていた。これは金融学界の専門家の多くが当初から指摘していたことである。あとには巨大買いオペ残高のきわめて困難な後始末が遺された。

9) この理論あるいは主張は少なくとも、①ケインズ的な政策スタンス、②貨幣・金融論、③財政論、の3つの側面を含んでおり(そこには正しい部分もある)、また各主張者の強調点がそれぞれ異なるため、明快にまとめにくい。そこで抽象理論レベルは省略して現実的な政策運営の問題に絞るとすれば、財政論の部分になる。財政政策を拡張し、国債が累積しても、政府・中央銀行が通貨を増発することによって返済することができるから心配はいらない、というものである。これはリフレ派などの金融緩和論の欠陥を埋め、財市場で財政拡張、貨幣市場でマネー増加という両面作戦をとる、しかも有効になるまで無限に拡大するという想定のため、総需要拡大が実現する可能性は高いと考えられる。そしてそれによってインフレが高進しそうになったら引き締めに転じて止めればよいとする。

 この主張の妥当性は、経済がどのような条件にあるかによって大きく変わる。需要不足が小幅で、供給拡大力(潜在成長力)が高く、公債残高が小である経済ならば、この主張は、小規模な公債・マネー増発で均衡実現GDPを拡大できる、つまり有効となる可能性が高いと考えられる。これは普通のケインジアン政策にすぎない。しかしこれと異なり、需要が弱く、潜在成長率が低く、公債残高が大であるーー現在の日本のようなーー条件のもとでは、財政拡大=公債増加=マネー増加が相当大規模に達しないと政策は有効にならず、またそこまでいけばインフレが生じてすぐに停止に転じなければならない。つまり、有効に達しないか、有効=即時停止、のいずれかであり、目標は実現しない。

 さらに、いったん走り出したインフレの停止はこの理論が主張するように簡単ではまったくない。財政引き締め(増税・緊縮)も金融引き締め(金利上げ)も困難だからである。第1に、インフレ下では財政経費も自然増するため支出削減は困難を極める。このあたりは最低限たとえば戦後インフレとの苦闘の事実を知っておく必要がある。第2に金利上昇は国債の暴落、巨大な損失、混乱をもたらす。こうした事情があるからこそ古今東西の政府が財政破綻を恐れ、避けようとしてきたのである。MMTは純抽象理論にとどまり、こうした経済の現実の知識と考慮を致命的に欠く。