もう何年も前のことだが、一般人の読者を想定した著作の中でセラリーニの論文(モドキ)を取り上げているのを見て、私はこの人を見限った。研究者を対象とした論説文なら、絶対にそんなモノには言及しなかった筈である。問題意識については共感出来るところが多かっただけに、ひどく寂しい気がしたことを覚えている。
https://agrifact.jp/factcheck_imported-wheat-is-not-dangerous/
(⇧)一般人の読者にデマを吐くことに対して、良心の咎めを感じない境地に達しているのだろうか? 肩書きは教授でも、中身は研究者から活動家もしくはデマゴギーへと変化しているのではないか?