なぜ「利払い費」を無視するのか?

 くだけた言い方をすれば、「利息を払う」という行為には、「元本の返済を先延ばしする権利を買う」という意味がある。どうしても元本に相当する部分が必要ならば、債権市場が成り立っている場合には、他の人に買ってもらう、という方法で、それを得ることができる。ただし、その場合、利息を得る権利は(当然)失われる。


https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12604313233.html

国債とは、基本的には借り換えされていくものです。「借りて、返す」のが基本であるにも関わらず、「借りて」を省き、「返す」の部分のみをクローズアップさせ、騒ぎ立て(て)いる。というか、騒ぎ立てるためのレトリックなのです。」(引用文中の()内は、引用者の補足)


 より正確には、「利息を払って」「借りて、返す」が基本である。「借りて、返す」サイクルが成立するためには、「利息を払って」という条件が必要不可欠だ。勝手に利息の支払いを省いてはいけない。

 親族や親友ならば、「ある時払いの催促ナシ」でも通用するだろうが(そうした場合ですら不和の元になりがちだが)、ビジネスとして貸している民間の経済主体に対して、「利息は払いませんが、貸して下さい」などという言い草が通用する筈などないのである。

 経済史に詳しい人ならば、いちいち文献に当たらなくても、利払いが履行できなかった(あるいは、政治的にそれを拒否した)ために、今の日本政府から見れば笑ってしまうほど少額の負債で破綻した事例を、いくつも挙げることが出来るのではあるまいか?