建部正義2014は信用創造のタイミングがおかしいのではあるまいか?

「①銀行が国債(新発債)を購入すると、銀行保有の日銀当座預金は、政府が開設する日銀当座預金勘定に振りかえられる、②政府は、たとえば公共事業の発注にあたり、請負企業に政府小切手によってその代金を支払う、③企業は、政府小切手を自己の取引銀行に持ち込み、代金の取立を依頼する、④取立を依頼された銀行は、それに相当する金額を口座に記帳する(ここで新たな民間預金が生まれる)と同時に、代金の取立を日本銀行に依頼する、⑤この結果、政府保有の日銀当座預金(これは国債の銀行への売却によって入手されたものである)が、銀行が開設する日銀当座預金勘定に振りかえられる、⑥銀行は戻ってきた日銀当座預金でふたたび国債を(新発債)を購入することができる、⑦したがって、銀行の国債消化ないし購入能力は、日本銀行による銀行にたいする当座預金の供給の仕振りによって規定されている」「……この過程は原理的には無限に続きうる」

(建部正義「国債問題と内生的貨幣供給理論」)


 門外漢が高名な学者に異議を申し立てるようで恐縮だが、これは、国債を購入する①の時点で信用創造が行われ、新たな預金が生まれていると解釈しなければおかしい。そして、信用創造された(国債の購入額と同額の)預金を、日銀に設けられている政府の口座(?)に振り替えるためにA銀行の日銀当座預金が用いられていると理解するのが妥当である。そもそも日銀当座預金は、振替のための道具として制度化されているのではなかったか?

 仮に、国債を購入したのがA銀行で、公共事業を請け負った企業の口座がB銀行にあった場合を考えれば、④の時点で信用創造が行われたという解釈がかなり不自然であることに気づくと思うが、どうだろうか。