ぷらいまりい・ばらんす

 どうせ現状では達成できる筈などないのだから、プライマーバランスの黒字化を目標にするのはやめてしまえば良い、と、私などは思っていたのだが、某・省庁はもとより、与野党を問わず、大半の政治家も、この目標が必要不可欠であると信じ込んでいるらしい。だが、もし、本当にこれを達成するとなると、日本は、先進国はおろか、主権国家であることすら放棄するようなレベルでの支出削減を強いられることになるだろう。この支出には、高齢者に対して適切な医療や介護を提供する制度を維持するための出費も、当然のことながら含まれる。そもそも、これは、高齢者比率が上昇しつつ人口が減少していく状況で掲げるべき目標なのだろうか?
 幸いにも(否、不幸にも)、こうした輩でさえ、コロナ禍の対応のためには、支出過多でもやむを得ないと、ここ1~2年は考えてくれるだろう。それすらできないのならば、ほとんど狂人である。

 ところで、私がここで問題にしたいのは、このプライマーバランスという基準を掲げること自体に伴う、或るネガティブなアナウンス効果である。
 この基準では、国債の利払い費を除いた政府支出と税収とを均衡させ、可能ならばそれを黒字化させることが当面の目標となる。しかし、この、いかにも堅実そうな方針が掲げられ、維持されている間は、投機屋(投資家という言葉すら使いたくない)に対して、「あの国は、利払い費の調達のために新規国債を発行している」というネガティブキャンペーンを打つことが可能なのである。この点に注意して頂きたい。
 自分が悪徳金融業者になったつもりで考えて欲しいのだが、元本の返済のために借金をしている相手と、利払いのために借金をしている相手とでは、どちらの融資を先に引き上げたいと判断するだろうか?
 私は根が善良なので想像しにくいのだが(←嘘つけ!)、前者には甘言を弄して貸し付けた上で、なるべく長く利息を巻き上げようとするだろうが、後者に対しては、怖いお兄さんを差し向けてでも全額を回収しようと考えるだろう。
 こんなイヤらしい思考実験を経てみると、プライマーバランスという基準の背後には、国債市場の「活性化」という目的が潜んでいたのではあるまいか、という疑念が沸き起こってくるだろう。この「活性化」には、当然、国債金利の乱高下というオマケが漏れなく付いてくる。

 いつの間にか、政権交代や首相の交代にも関わらず、中心的な政策目標として居座っている、このプライマーバランスという考え方が、どの勢力の誰によって持ち込まれたものなのかを丁寧に検証しておく必要があるだろう。