どうやら銀行は自助努力をしていたらしい

 興味深い記述を見かけた。以下は『「追われる国」の経済学 ポスト・グローバリズムの処方箋』(2019,リチャード・クー,東洋経済新報社)からの引用である。


「こうした反対の大合唱によって、不良債権の処理は2年間先送りされた。しかし、日本の銀行は1995年から不良債権に対する巨額の貸倒引当金の計上を始めた」
「その結果、2001年に小泉純一郎政権が発足した時は、既に不良債権の80%について引き当てが終わっていた。日本では銀行の不良債権処理が遅れたというのは、明らかに間違いなのである。」
「こうした経緯にもかかわらず、海外アナリストの大半は、2001年まで日本の不良債権が増加したことを示す公式データに基づいて、日本は不良債権の処理が遅れたと信じ続けている」


 ただ、筆者の挙げているグラフを見る限りでは、1997年11月に発生した金融危機(三洋証券、拓銀山一証券の連鎖破綻)の時点では50%といったところで、早かったともいいきれない。とはいえ、日銀や旧大蔵省の直線的な支援が期待できない中での行動としては見事なものだろう。
 唖然とさせられたのは、以下のくだりである。


「しかし、不良債権の残高が表面上増加し続けた理由は、銀行と旧大蔵省銀行局の間で問題債権を不良債権と認定する合意ができた後も、日本の税務当局が長い間、税収が落ち込むことを嫌って、その認定を受け入れなかったからである。銀行の不良債権を損失だと認めると、その分銀行からの税収が減ってしまうからだ。
 そのため、銀行は問題債権をそのまま帳簿上に計上し、税引き後利益を使いながら引当金を積むという馬鹿げた処理を何年も続けなければならなかった。しかも、その処理は税務当局がその不良債権を完全な損失と認定するまで、ずっと続けなければならなかったのである。つまり、日本の不良債権の統計は、銀行によって既に計上されていた貸倒引当金を反映していなかったのである。」


 素人目で見ても、これでは、資金繰りにつまるリスクが高まることは容易に想像できる。もし、これが事実なら、とても監督官庁としての責任を意識した振る舞いとは言えないだろう。

 ああ、それで、銀行は損失処理を早く認めてもらおうとして、ノーパンしゃぶしゃぶで接待を、、、(←変なところで納得するんじゃねえよ!)